Love trouble
紳士たるもの見苦しい感情は表に出さず、常に余裕の笑みを携えるべし。 それはジャン・ルパンのポリシーの一つであり、実際に彼はいかに苦しい場面においても憎らしいほどに余裕の表情を浮かべて乗り切ってきた。 ・・・・が、最近、そのポリシーがもろくも崩れ去ろうとしていた。 かちゃん、と玄関のドアが鳴る音に、アルセーヌ・ルパンは読んでいた新聞から顔を上げた。 この家へ呼び鈴も鳴らさずに入ってくる人間は一人しかいないので、いそいそとアルセーヌ・ルパンは『パパ』の顔を作り上げる。 「おかえりー!私の可愛いJr.・・・・・・・・・・おや」 いつも通りの暑苦しい愛をてんこ盛りにした帰宅の挨拶とともに笑顔で息子を迎えたアルセーヌは、いつも以上に突き刺さる空気に首をかしげた。 「Jr.はえらく不機嫌だなあ?」 学園に通う昼間の顔である、ジャン・ルーピンの姿の息子はそのキャラクターと完全に矛盾するきっちりと皺の刻まれた眉間をこの上なく嫌そうに父親に向ける。 こんな姿をハリントン学園のクラスメイト達が見たら、驚くどころの騒ぎではないだろう。 だいたい、アルセーヌは『不機嫌』などと可愛らしい言葉で表現したが、ジャンの纏っている空気はどこをどう見ても殺気だ。 こんな気配を纏って街中でヤードと出くわしたら、出会い頭に拳銃を抜かれかねない。 持っていた鞄をアルセーヌの座っているソファーの隣に乱暴に放り出したのも珍しい。 「どうかしたのかい?ま、まさか、学校でついにいじめられて・・・・!」 「・・・・万に一つもその可能性がないとわかって言ってますよね、父さん。」 「うん。」 大げさに悲嘆の表情を浮かべたのに、突っ込みにあっさり頷く父に息子の不機嫌ゲージが再び跳ね上がる。 「私の息子がそんなへまするわけもないだろ。もともと、『協調性のある一般生徒』っていうキャラクター作りを諦めた時点で、みすみすいじめられて下手に目立つような事にはならない勝算があるんだろうとわかっているよ。」 Jr.はパパの自慢の息子だからね!とキラキラした目を向けてくる父をものすごくうっとうしそうな目で見つつ、ジャンはかけていた眼鏡をむしり取り、固めた髪をぐしゃっと崩した。 その様子にアルセーヌはふうん、と目を細めた。 「だが、学園で何かあったのは間違いなさそうだねえ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「さしずめ、あの可愛らしいお嬢さんと喧嘩でもしてしまったかな?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うるさい。」 かなり嫌そうに目をそらしつつもぼそっとそう言われて、アルセーヌは俄然興味ありそうに身を乗り出した。 「おお!まさか本当に喧嘩したのかい?どんな事で?あのお嬢さんの事だ。怒ってもきっと愛らしいんだろうねえ。」 「・・・・想像しないでください。僕のエミリーなんだから。」 一際殺気をみなぎらせて睨まれて、アルセーヌは楽しそうに口角を上げる。 亡き妻に知られたらものすごく怒られそうだが、息子をからかう・・・・もとい愛でるのはアルセーヌの今、一番の楽しみなのだ。 スペルバウンドに関わっていた時にはぴりぴりしていたジャンだが、その件もひとまず決着をつけ、エミリー・ホワイトリーという可愛らしいお嬢さんと恋に落ちてからの彼はものすごくからかいがいが・・・・もとい、青春していて実に愛おしい。 というわけで、先刻の一言は都合良く聞かなかったことにして、アルセーヌは苦悩に満ちた父親の表情で顎に手を当てて首をふる。 「いけないぞ、Jr.。いくら怒っている女性も魅力的だからといって、あまり怒らせてばかりいると愛想をつかされてしまうんだからな?」 「っ・・・・!」 何気なく放った言葉に意外にもジャンは過剰に反応した。 はっと顔を上げたかと思うと、ものすごく苦々しそうな顔をして。 「・・・・怒らせてばかり・・・・確かに『あいつ』は違ったけど・・・・・」 思わず呟いてしまった的な言葉に、アルセーヌはおや、と眉を上げる。 今の言い方では。 「まさか、恋敵にエミリーちゃんを奪われたのかい!?」 「!違います!」 えええ!?っとあからさまに驚いてみせれば、ジャンは叩き返すように返事をした。 した、がその後は忌々しそうに視線を外した。 「違う・・・・だって、彼女が好きになったのは僕のはずだ。」 自分自身に言い聞かせるように、しかし隠しきれない不安に揺れた言葉にアルセーヌは内心意外に思った。 怪盗たるもの、いついかなる時も自信たっぷりで余裕を見せるべし、を体現している父を長年見ているせいか、ジャンもまた基本は自信家だ。 しかしエミリーはジャンにとっては初めて本気で好きになった女の子。 彼女相手ではさすがのジャンも分が悪いらしい。 アルセーヌが黙っていた事で、自らの思考に落ち込んでしまったのか、ジャンは立て続けにぶつぶつと呟く。 「そもそもあいつと僕じゃ全然違う。」 ふむ、とアルセーヌは息子を見守りながら頷いた。 確かにエミリーの周りにいる男性は、アルセーヌの知る限りライバルと見なされているホームズJr.以外はタイプが違う。 「ドジはするし、抜けてるし、どもるし・・・・」 おや、とアルセーヌは首をかしげた。 どこかで聞いた事があるような。 「だいたい階段から落ちて両手骨折とかおかしいだろ!みんなも信じるなよ!」 「・・・・えーっと、Jr.?」 「エミリーもエミリーだ。なんであんな『どんくさい奴』にあんなに構うんだ!」 「・・・・『どんくさい奴』ってもしかして。」 さりげなく父が挟んだ言葉が聞こえているのか、いないのか、ジャンはぎりっと歯をかみしめるといかにも憎々しげに、さっき自分が外した赤い縁の伊達眼鏡を睨んで言い放った。 「決まってるでしょ!?『ルーピン』ですよ!」 えええー? さすがにパパびっくり、と驚くアルセーヌなぞ眼中にないのか、妙なスイッチが入ってしまったジャンがべらべらとしゃべりだした。 「確かに鈍くさい奴を演じてたのは僕だし、『ルーピン』も僕なんだけど。だけど、彼女は『ルーピン』に甘すぎる!」 「・・・・えーっと、学園でエミリーちゃんに何かされたのかい?」 「彼女を名前で呼ばないでください!違いますよ、優しくしてもらいました!」 かなり頭に血が上っているであろうに、父の名前呼びには釘を刺してくるあたりさすがだな、と思いつつアルセーヌは首をかしげる。 「それは良かったじゃないか?」 「ちっとも良くありませんよ!!彼女は『ルーピン』に優しすぎるんだ!」 「えー・・・・」 「廊下で躓けば前の方を歩いていてもすぐ走ってきてくれるし、大丈夫?ってあの可愛らしい顔で首をかしげてのぞき込んでくれるし、あまつさえ手まで引いたりしてっっ!!」 ぎりっと心底悔しそうに歯をかみしめるジャンの表情は完全に恋人の浮気現場を目撃した男のそれだった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、でも『ルーピン』とお前は同一人物だし。」 ついでにいうと、エミリーはもうとっくにルパンがルーピンであることを知っている。 「わかってますよ!そうじゃなきゃもうとっくに彼女の視界から排除してます。」 「排除って。」 「でもだから目障りなんです。・・・・そもそも、『ルーピン』が僕だとわかるまえから、エミリーは『ルーピン』にやけに優しかったんだ。正体を明かした時も『ルーピンがルパンだったの』って言ってたし・・・・」 いや、多分エミリーは根っから優しい子だから、ドジばかりするルーピンを気に掛けてくれてただけで、ルパンがルーピンとわかった後も急に態度が変わったらみんなが怪しむからそのまま接してるだけだろう・・・・と、冷製な思考で分析すればすぐに想像はつく。 つく、けれど。 (いやはや、恋とは恐ろしいねえ。) 紳士たるもの見苦しい感情は表に出さず、常に余裕の笑みを携えるべし。 ジャンがポリシーとして掲げていたその言葉と、今目の前でイライラと眼鏡を睨み付けている姿のなんとかけ離れていることか。 (若いっていいなあ。) パパもママに出会った時はこんな感じだったなあ、とほわんっと幸せな記憶に目を細めるアルセーヌの前で、ジャンはがたんっとこれまた乱暴に立ち上がった。 「どうしたんだい?」 「・・・・別に。ただ・・・・今夜はちょっと出かけます。」 居間を出て行こうとした姿勢のまま振り返らずにそういうジャンに、アルセーヌは「ああ、行っておいで」と鷹揚に頷く。 そして思い出したように付け足した。 「でも今夜は少し冷えそうだから、月夜の散歩にレディを連れ出すのなら防寒対策をしっかりするんだよ?」 「っ!父さんに言われなくても!」 図星を指されて恥ずかしかったのか、投げ捨てるように言い置いて居間を出て行く息子の背中をアルセーヌは見送った。 そして、机の上に置きっぱなしの赤い縁の眼鏡を指ですくい取ると、くるりと回して服の下に入れていたペンダントを引っ張り出す。 スペルバウンドから取り戻した最愛の人の形見に向かってアルセーヌは呆れたように呟いた。 「やれやれ。反抗期が過ぎたら今度は恋煩いみたいだよ?母さん。」 本当にあいつは私とにているなあ、と本人が聞いたら盛大に顔を顰めそうな事を呟いて、小さく笑うとアルセーヌは窓の外へ目を向けた。 いつの間にか、茜色に染まった町並み。 じきに日は落ちて、月明かりと霧に覆われたロンドンが姿を現せば、今夜は気障な怪盗を装った恋する青年が一人、ホワイトリー邸の窓を叩くのだろう。 その時、あの空色の瞳をこぼれんばかりに大きく見開いて驚くであろうエミリーの姿を想像して、アルセーヌはくすりと笑って呟いたのだった。 「うちの息子は意外と甘えん坊だからなあ。・・・・よろしく頼むよ、お嬢さん。」 〜 END 〜 |